貴乃花光司といえば、僕の世代だと平成の大横綱です。
昔は、大相撲もよく見ていたので、今でも印象に強く残る力士です。
そんな貴乃花さんが、こんな動画に出演されてました。とりあえず見てほしいです。
何と言いますか、ちょっと壮絶な内容です…
1つのニュースを取り上げて人の本質を知った気になり、安易に批判してしまうことがあります。
なんの権利があって、なんの事情を知っていて、どの立場からジャッジできるのか。
スポーツともなると出来もしないくせに安易な批判じみた声をあげてしまう悪癖がある僕としては、恥じるばかりで言葉もありません。
横綱として活躍する当時、1つの現象の裏側で、どれだけ自らを追い込み、また、追い込まれていったのか。
どれだけの内省があったのかは、想像にあまりあることです。
有名か、そうでないかに関わらず、今の世の中は「ジャッジ」に溢れているといってもさしつかえないでしょう。
SNSが隆盛を極める現代において、その流れは加速しています。
判断基準は様々ですが、コスパ、タイパ、効率うんねん…
日本の生産性の低さを嘆き、生産性のないことに悩み、苦しんだりしている人を馬鹿と一刀両断する。
きっと、「正しい」のでしょうけども、そこには相手に対する寄り添いなど欠片もない。
むしろ、「感情を交えて考えるなんて馬鹿」と追い打ちをかけてくるに違いない。
ですが、感情がどうあれ、何らかの現象にはある判断があります。
その判断の裏側には、万人は見えない、いくつもの出来事と思考があるのではないでしょうか。
表層に現れた出来事をもって、バカだアホだ無能だと叫ぶのは、実に簡単なことです。
それこそ、思考停止の最たるものでしょう。
昔、内田篤人さんがこう言っていました。
「上から見るサッカーが1番簡単」
仕事でも、転職でも、どんなにおろかに見えるようなことだったとしても、こっちが想像がつくようなことは考えたうえで判断しているのかもしれない。
それくらいの想像力を働かせて、話を聴くことなしに正論をぶちかましたところで、相手に届くことはないでしょう。
出来事や判断には、我々には見えない歴史と思考がある。
自分とは違った価値観があり、「大切にした何か」がそこには息づいている。
外野が安易にジャッジするなんてのは、頭がいいように見えて、ただの視野狭窄の表出にすぎないのかもしれない。
そして、その安易さが、人をどんどんと追い込んでいく。
実に怖いことです。
TCSでは、これを「視点の数」と表現します。
自分が見えている景色だけが、必ずしも正解とは限りません。
同じ現象も、見る角度によって、見え方は変わります。
人と関わるのであれば、安易に批判する前に、どんな角度から相手が物事をみたのか、こちらから見えていない景色は何なのか。
そのことに想いを巡らし、時には話を聴くことがいい仕事をするための起点になるのではないか。
コーチングを学ぶ意味は、自分には見えていない景色への洞察力、想像力を拡げ、多角的に物事を見られるようになることとも言えるのかもしれません。
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