「普通」であることがコンプレックスな人へ

TCS認定コーチのウスイです。

梅雨がどうやら明けたようで、なにやらめちゃくちゃ暑いですね。。

毎年、殺人的な暑さを誇る日本の夏ですが、今年も例外なくやばい悪寒がしてきますね。。

一日冷房をかけて在宅勤務です。

コンプレックスありますか?

いきなりですが、1つ質問があります。

あなたに、コンプレックスってありますか?

僕はあります。ありました。

人生40年弱、振り返ってみても僕は特に何不自由なく生きてきたと思います。

特にうつ病に見舞われることもなかったし、大病ももない。かなりの健康優良児です。

家庭も、べらぼうに裕福というわけではなかったけれど、世間一般的にみれば私立高校に通い、予備校で一浪して私立大学(文系)を卒業させてもらいました。
これで「裕福ではない」と言ったらきっと怒られます。

両親には、こころゆくまでサッカーもやらせてもらいました。

人間関係には全カテゴリで恵まれ、妻や子どもにも恵まれました。

離婚もしてないです。予定も予兆もない。たぶん。

自己肯定感が低い?

こうして書いてみれば、かなり幸運とも言える人生を歩んで来ています。

自分でもそう思う。

だけど、視野が狭く、視点の数にも乏しい僕は、よくある「ある訴求」と比べて普通だと思ってしまっていました。

普通だから、特段ビジネスで言えることがない、と。

個人ビジネスの世界でよく見る訴求がありますよね。

「こんな自分がこうなった」という構文です。

そして、「こんな自分」に入るのは、よくあるのは病気だったり、誰が見ても「それは酷い」と感じる出来事だったりします。

その時の体験の壮絶さはすさまじいはずで、そのことに想いを馳せれば、決してうらやましいなどと軽々しく言えないはずです。

でも、「ギャップ」を生みやすいその訴求を、僕はけっこう長いこと「うらやましい」と思ってきました。

この状態を、「自己肯定感が低い」と表現できるのかなと思います。

当たり前を当たり前に

ただ、ギャップを埋める・埋めないは別にして、上記で書いてきた僕の人生は、決して不幸ではないし、むしろ幸せを感じてこれたもの。

僕自身で言えば、その「普通」を作るために、自分が当たり前だと思うことを、当たり前に続けてきました。

そう考えると、普通とは、当たり前のことを当たり前にやれることなのかもしれません。

それは、そうあれることは偉大なことです。

人生において、それなりに嫌なことだってあったりしましたが、自分が大事にしてきた価値観や関係性があります。

それは、別の人からみたらきっとうらやましいと思われるものもあるでしょう。

隣の芝生は青く見える、ではないですが、ないものねだりをしても、何も進まないんですよね。

結局のところ、自分が自分の過去にどういう意味を見出していて、どうありたいと考えていて、どういう未来を作っていきたいと思うのか。

そして、そのために今何を具体的になにをしているのか。

それを、当たり前にやる。やり続ける。

いつまでもよくわからない他人との比較に悩み、苦しんでいたとしても、ないものはないし、あるはずの自分の魅力に気づくこともきっとない。

だったら、あるもの、作ってきたものを探し、磨く方がよほど未来があると思うんですよね。

小さな言動から変えてみる

言うのは簡単です。

そう簡単に築かれてきたマインドは変わらないし、変えられるものでもないでしょう。

でも、それでも何か1つでいいから、口癖や行動など、具体的な何かを変えることから始めたい。

なぜなら、マインドが変わるなら、表出するアウトプットが変わってないと説明が付かないですから。

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ABOUTこの記事をかいた人

【超傾聴】話してたら引き出されているコーチ。あなたの信念大事に。 君が君であるために大事な視点を配信。人生のハンドルを自分で握りたい、握ってほしい。脱助手席思考。|TCS認定コーチ・コーチ活動歴8年|筋トレとサッカー、軽井沢が好きすぎる。2児の父。