TCS認定コーチのウスイです。
僕自身がそういう人をフォローしているから、というのもあると思いますが、「我慢は良くない」「我慢はしなくていい」という言葉をよく目にするようになりました。
僕自身、精神を病んだことはないですが、比較的、色々と我慢をして辛いなーと思ってきた過去はあるので、言葉の意味はわかります。
ただ、スタンスとしては、半分同意で半分反対、です。
というのも、「我慢」という言葉も解像度を高めてみると、決して「100%不要」というものではないと感じるためです。
我慢の3階層
話が進まなくなるので、前提として何らかの目的を持っている、ということで話します。
基本的な構造として、目的があり、その目的を達成するために目標がある。そして、目標を達成するための作業があります。
この大きな3階層のことを頭において「我慢」を考えるとこうなると思うのです。
「やりたくないことややらない」という言葉が跋扈して久しいが、多くの場合、大変解像度が低いケースが多い気がしている。
— ウスイナオト|コーチ (@naotophethant) July 16, 2021
目的レベルでやりたくないのか。
目標レベルでやりたくないのか。
作業レベルでやりたくないのか。
作業レベルなら我慢しろとは思う。
つまり、一般によく言われる「我慢は良くない」というのは、「目的レベルの我慢」は良くないということでないと、ただのわがままになりやしないかなと。
お菓子のバカ食いも辞めたくない、運動もしたくない、だけど痩せたい。
こう言っているようなものです。ないです。そんなもの。
一方で、目的は絶対に実現したいことなんだとします。
そうなると、その下に紐づく目標はやりたいことであるケースは多いと思いますが、きっとやりたくないことも含まれると思います。
作業レベルになれば言わずもがな。
物販で考えてみる
例えば、自分の好きなものをネットで売り世界を笑顔にしたい、という目的を持った人がいるとします。
そうなると目標は、物販で売上〇万円、とかになる。
ココはコミットできそうですね。
ただ、そのための作業としては、結構めんどくさいことも多いのです。
・受発注の作業
・顧客対応(クレームもあるかも)
・商品登録
・仕入れ(商品製造)
などなど、作業は多岐にわたります。
そうなると、「やりたくないこと」の1つや2つ出てくる気がするのです。
そこで、人を雇って任せる、という選択肢が浮上してくるわけですが、ここで「マネジメント」という作業が発生する。
これをやりたくない、という場合もきっとあるでしょう。
だけども、これらすべてを「やりたくない!!」と混ぜこぜにしていると、目的には向かわない。
なので、本当に達成したい目的を達成するために必要な目標や作業なら、それは「我慢しろや」という話です。
もし我慢できないなら、その目的も嘘ということになると思うんですよね。
やりたいこと・やりたくないことの解像度を高める
ブームみたいに「やりたいことをやろう」という言葉に乗せられる前に、やりたいことの定義や意味、自分にとってやりたくないこと、我慢とは何なのか。
こうした言葉の解像度を高めておかないと、非常に残念な未来が待っているように思えます。
もちろん、どんな作業も我慢しろということではないし、目的に向かうためのルートはたくさんあるので、嫌な作業を回避することは逃げではなく工夫だと思います。
ただ、定義が曖昧な「我慢」だと、必要なことも手放してしまうことになりかねないんですよね。
なので、自分の感情に従うのも良いのですが、それがどういう意味を持ってくるのかに視点を持ってみるとまた別の世界が見えてくるかもしれません。
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