TCS認定コーチのウスイです。
会議では発言しない者はいる意味がないと言われます。
これはビジネスマンの基本動作、あるべき姿として言われることであり、確かにぼーっと参加している会議には特に意味はないと思います。
ただ、今日はこの文脈ではなくて、司会者側の視点から考えて観たときのことを考えてみたいのです。
反応をしてみる
このところ、私が会議のような場に参加するときに明確に意識していることが1つあります。
それは、「反応」をすること。
なぜなら、司会側になると、反応がないとめちゃくちゃ不安になったからです。
持ってきた結論でOKなのか、はたまた異論反論オブジェクションあるのかどうなのか。
何かリアクションをしてくれないと、本当にわからない。
「え、、、、おれなんか悪いことしてる…?」という気分にすらなるのです。
いいんです。
ポンコツファシリテーションなら、そう言ってくれればいい。
「ちょっとなに言ってるのかわからない」と言ってくれればいい。
だけど、何の反応もないと、どう次に持っていくのが議論を善き方向に導くことになるのか…
直すこそも、進めることもできなくなる。
かなり孤独な気持ちにさせられたのです。
まして、リモートワークとなると、雰囲気を感じ取るのも対面に比べると情報量が少ない。
なので、だいぶ神経も使うことになります。
それ自体は正しいことかもしれないのですけどね。
引き出すのが司会者の役割と言われてしまえばそれまでなんですけどね。
だけど、反応があれば、間違った流れを正すことも、そのまま進めることもできるし、メンタル的に安心もできる。
家庭でも同じです
我が家は、僕も含め、別のことをやっているとそれに没頭してしまい、話しかけられていることに気づかなかったりします。
こうしてブログを書いている横で、娘が呼びかけてくれているのを何度スルーしたか…
これって、相手の不安や怒りを覚えさせてしまいます。
もちろん、相手もこっちの様子を感じ取る、いわゆる「空気を読む」という視点は必要なのかもしれません。
ただ、そうだとしても、相手を孤独にしてしまっているのは事実といえるでしょう。
仕事でもプライベートでもこういう感じだったので、とにかく「反応する」をテーマにして、考えているなら考えているから1分まってくれ、ここがわからないなどなど、自分のステータスを伝えるだけでもいいのでやってみています。
反応が反応を呼ぶ
そうしていると、相手も次第にこちらの言葉にも反応してくれるようになってきます。
反応すれば、反応してくれるんですよね。
そこで気づいたのです。
反応とは、つまり承認なのだと。
「あなたの意見、考え、存在」を、反応することは認める、というのを伝える行為なんですね。
もっと言い換えると、相手に対する敬意そのものとも言えます。
持ってこられているテーマの精度とか、方向性とか中身に対して言いたいことはあったとしても、反応を示すことは、相手に対する敬意なのです。
だから、「会議の場で発言しないのは存在価値がない」と言われるのは、「役立たず」的に使われる言葉ではありますが、もっというと相手に対する敬意を持てない奴だ、と言われているようなものなのです。
SNSでも、いいねやコメントがつくと、なんだかんだで嬉しいじゃないですか。
承認されているなと感じるところ、あると思うんです。
もし、このブログを読んでくれているあなたが、相手にあまり反応をもらえなくて不安だと思っているなら、相手に対してまずは反応を示してみてほしい。
反応することは、相手の存在を認めることであると同時に、相手に存在を示すことでもあるのですから。
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