TCS認定コーチのウスイです。
自分には価値があるのか。
このような問いを持ったことがありますか?
この問いそのものに価値がなく、答えが出るような質高い問いであるとは思いません。
ですが、どうしても思ってしまうことはありました。僕の場合。
だけれども、自分が思っている以上に、自分は人から大切にされているものです。
もちろん、逆の可能性だってありますが、多くの場合は前者だと思います。
なぜなら、価値がないと思うならば、きっとすでに離れているか、距離が詰まっていないかしているからだと考えるからです。
自分の価値を疑った結果
僕は今でこそ、会社員をやりながらコーチングの提供をやらせてもらっていますが、当初、全く自分がやっていいものとも、自分に金額見合う価値があるとも思えていませんでした。
そんな時の自分の中の中心的な問いが、冒頭の「自分に価値はあるのか?」」という問いでした。
ビジネスの文脈以外でも同じです。
黒歴史…というわけではないですが、僕は正直、まるでモテない人生でした笑
今でこそ、妻がいて、子どもがいてとそっち方面は充実してますが、まあ、正直うまくいかなかった記憶の方が多い。
もしくは、何のチャレンジもしなかったか。
そういうときは、やっぱりこう思うのです。
「自分には価値がないのでは?」
1人で考えた結論に意味はあるか
ところが、思い返せばこの問いと、結論にもなっていない結論にはどうやって至ったか。
おそらく、「自分ひとり」で考えたものではないでしょうか。
「本当に周りはそう思っているのか」
これを確かめる勇気もそうそう持てないものですが、確かめてない以上、「価値がある」とした結論も疑わしい。
気づかせてくれたのは…
僕の場合、これに気づかせてくれたのは、ビジネスではクライアント、人間関係においては妻が決定的でした。
自分には価値がないのでは?と思っていたとしても、それでも選んでくれているクライアントはいる。
そのクライアントからすれば、価値を感じたから頼んでくれている。
「あなただから頼んだ」と言われたときの喜びは、今でも鮮明に覚えています。
一番最初にクライアントになってくれた人です。経験は少ないことも織り込み済みで、それでも信頼を寄せてくれたことは、何よりの喜びでした。
妻にしても同じ。
自己評価がどうあれ、彼女にとって、僕自身は価値がある存在だった。
直接的にそういう言葉をもらったわけではないですが、それでも家族となって、コミュニケーションを取っていれば、そんな疑うような場面があるわけでもない。油断は禁物だけれども。
自分自身の結論ならば、「そんなことはない」と否定的な態度をとることは可能です。
でも、自分に対して好意的な言葉を、心の底からの本心で価値を伝えてくれる言葉を否定するのは、敬意を欠いた行いといえるでしょう。
自己陶酔に浸るな
このように、自分がどう思っていたとしても、人から見たらもっと評価が高いケースはきっとある。
逆に、自分にはこれだけの価値があると思っていても、人から見たらそうでもない、というケースだってある。
なので、「自分を知る」とか言って自己分析ばっかりやっていても、それはきっと良くも悪くも自己陶酔にしかならないのです。
そんな結論は、自分はこうなんだという単なる決めつけにはなっても、人にそう伝わっているかは別問題な場合がほとんど。
場合によっては「痛い奴」になりかねない。
つまり、自分ひとりで自分のことを考え、知るなんてことはできないのです。
僕たちは結局、他人がいるから自分を自覚できるのです。
関わりたいと思う人とのコミュニケーションを、諦めてはダメなのです。
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