TCS認定コーチのウスイです。
好きなことがない、できることなんてない。
こんな、やらない言い訳やできない理由の数々は、自分でも多く発してきたし、今でも本当によく出会います。
失礼ながら、かなり経営的によくない状態の経営者の方からも聞くことがあります。
本人は本人なりに本当に頑張っているし、努力もしている。
だけど、あまりに結果が出ないこともあってか、絶望し、諦めの境地に陥って思考が止まってしまっている状態になってしまう。
大なり小なり、経験はあるんじゃないかと思います。
ですがこれ、本当は好きなこともできることもるのに、あまりにできないことや嫌いなことに潰されて、見えなくなっているだけだと思うんですよね。
公文の算数を辞めたいと娘は言った
最近の話です。
娘は公文に通っているのですが、このところ「算数だけ辞めたい」と言い出しました。
当然、わけを行くのですが、曰く
・繰り上がりの掛け算ができない
・繰り上がりの数字を書いちゃいけないって言われるからできない
・どうがんばってもできない
・嫌い
ということらしい。
繰り上がりの数字を式に書いてはいけない理由は確かに謎なのですが、そんな計算にであったのはほんのここ2週間ばかりの話。
まだ挑戦を始めたばかりのタイミングですし、できないこと、わからないこと、難しいことは自然なことです。
親としては、「できないからやるんだ」と正論を振りかざすのわけですが、まあ響きやしない。
逆に、「大好き」と言ってがんばっているバレエは、どんなにできない技に出会っても、家でも練習するくらいで、弱音も吐きません。
好きだからがんばれるのだそう。
はたから見ていても、考えながら、工夫しながら頑張っているのが分かります。
算数とバレエの決定的な違い
構造としては同じはずで、最初に挑戦することはどっちにしたっていきなりできはしない。
壁にぶつかって、失敗をして、考えて、工夫をしてまた挑戦する。
いわゆる、PDCAというやつを、子どもは自然体で回すことができているのです。
じゃあ何が違うのかと言えば、やっぱり純粋に「好き」という感情なんだろうと思うのです。
ただ、注目したいのは何が好きなのか、ということ。
うちの子の場合、算数は「できない」という状態が何より悔しく、嫌いなのです。
なぜなら、めちゃくちゃできる足し算や引き算は、楽しそうにやってるから。
本当は、算数そのものが嫌いなわけではない。
反対に、バレエは失敗も含めてバレエそのものが好きなのです。
かつて、かの王貞治さんは、「負けも含めて野球が好きだ」と言ったと聞きました。
娘の場合、それがバレエなのだと思います。
好き・できるの数を数える
人が何かを好きになったり、嫌いになったりするプロセスって、対象に対する愛か、それともできるかできないかという結果に対する愛か、そのいずれかなのだと思ったのです。
とはいえ、人は嫌いだろうが、出来なかろうが、やらなきゃいけない時というのは必ず訪れます。
そういう時に備えて、力を蓄えて欲しいと思う僕が娘にとれることは1つ。
「好き」を好きでいられる環境を整えてあげることだと思うのです。
具体的には、「好き」と「できる」を数えること。
嫌いなことやできないことは、数えられないくらいに出てくるし、もともと人間の得意技です。
だからこそ、好きを数える。できることを数える。
バレエが好きでいられるように話を聞くし、失敗を褒める。
算数だって、できないことをぐちぐち言うより、できていることに注目する。
そうすればいずれ、バレエと同じように工夫して解ける喜びを見つけるかもしれない。
誰かからの正論で説得されるよりも、自分の中にある「好き」「できる」を数える習慣を創れれば、勝手に自分で見出していくはずなんです。
遠慮なんていらない
好きやできるは、基本的に人と比べるものでもありません。
だから、誰に遠慮することもなく、小さいことでもいいから、心が明るくなる自分の好きを数えて大切にしてほしい。
そうすれば、世界の見え方はずいぶん変わると信じています。
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