TCS認定コーチのウスイです。
「才能」
一般的には、「生まれ持った特別な能力」のような意味を持ちますよね。
この才能を、他人を凌駕し、称賛されるような才能を、どれだけ欲してきたか分かりません。
昨今の「強み発掘」に代表される、「自分の強みが何かわからない」という苦痛にも似た感情は、総じて、他者と比較した視点だと思います。
才能という言葉の意味
さて、その「才能」という言葉、実はちゃんと調べたことがないので、それぞれの感じの意味を調べてみました。
「才」とは、
①「芽」、「草の芽」
②「生まれつきの能力」、「素質(たち)」
③「始めて」
④「わずかに」、「やっと」
⑤「はかり定める=裁」
そのまま「才能」を意味するものもありましたが、②と被るのでいくつか省きました。
調べてみて初めて知ったのは②以外の意味です。
興味深い…
さて、では「能」の方はどうでしょうか。
「能」とは、
①すぐれていること。例:能弁。
②主体的に行為すること。例:能動。
ということだそうです。
そして、この2つの意味の他に、才と同じくそのまま「才能」を表す意味も持っているようでした。
さらに興味深い。
個人的に、漢字の成り立ち自体には敬意を払いたい質なので、「才能」という言葉が持つ意味を不自然に歪めたくはないなと思います。
なので、やっぱり「生まれ持った特別な能力」という意味はあると思いますし、それは否定はできないと思います。
ですが一方で、この言葉に苦しみ、自分を追い詰めてしまう人がいるのも確か。
自分も、以前はその1人でした。
なので、それぞれの字が持っている意味はそのままに、別の解釈をして、捉え方が明るくなるように考えてみたい。
「才能」の別の解釈
なるほど確かに、「才能」とは「優れた生まれつきの能力」の意になる。
これはわかった。
しかも、「才」と「能」それぞれで「才能」っていう意味を持っているわけだから、言ってみれば「才能×才能」ということ。
くどい。
だけども、他の意味をくっつけてみるとどうだろうか。
例えば、才④と能①。
これは「わずかに優れていること」という意味になる
なるほど他人との比較感はまだあるけれど、絶望的な高い壁感はじゃっかん薄れますね。
オリンピックに出るような、ほとんど「人間やめてるんですか?」と問い詰めたくなるような超人にしか使えない言葉とは、この意味であれば思えない。
次に、才④と能②でいってみよう。
わずかに主体的に行動をすること。
なんだろう、この「自分次第」感は。
一気に他人との比較から、自分の中から主体性を引き出すような視点に切り替わりました。
この意味であれば、誰にでも可能性はあると感じられます。
つまり、この意味であれば、どんな人でも才能は作り出せる、ということになる。
なんと力強いのであろうか…!!
他の組み合わせでも色々とできるかもしれません
・主体的な行動の芽を出す
・主体的な行動を始めていく
・やっとでも主体性を発揮できること
なんかもできそうです。
※「始めて」は「初めて」である気がしないでもないですが…
言葉遊びだったとしても
ぼくとしては、やはり他人と比較してしまうことは今でもあるので、「特別な能力」と意味合いは感じる言葉ではあります。
ですが、仮にそれがないとしても、別の意味、「わずかにでも主体性を持って行動をすること」これなら、その才能を持っているとは言えます。
こうやって、文章を書いているのも、主体的な行動の1つですからね。これは言葉遊びかもしれないですし、気休めにしかならないことなのかもしれません。
ですが、本来比較などできはしないであろう他人との才能の差に絶望して何かを諦め、拗ねた態度をとっているくらいなら、こうしてちょっとでも明るくなるような捉え方をしたほうが欲しい結果には繋がると思いませんか。
あなたの才能を始めていけば、どこかにそれを待っている人はいるんじゃないでしょうか。
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