「世の中に正解はない」の意味を改めて考える

世の中は決めつけや断言、ポジションに溢れた言葉が踊ります。

これが本質、これが本物、こうあるべき。

きっと、その人がその過程を経て、なんらかの成果を得た結果なんだと思います。

それに、言葉にするときにはどうしたってどこかの一面から表現するしかないので、表面的な言葉が、必ずしも全体像とは限りません。

例えば、金メダルを獲得したアスリートは、その場面だけを切り取ればめちゃくちゃ華やかです。

でも、その裏に、何千何万もの言い知れぬ努力があります。

ビジネスマンでも同じです。

「なんであの人はあんなに軽やかそうに成果出してるのかなー」なんて、敬意を欠いた言葉を吐いたことが僕はあるのですが、これも視点の数が残念なだけで、その舞台裏に想像が及んでいない。

正解はない

ですが一方で、

「世の中に正解・答えなんてない」

とも言われます。

何度聞いたかわからないですし、僕自身、世の中に100%絶対に正しいことがあるとは思えない。

確かに、あの人にとってはよかったかもしれないけれど、性格も状況も違う自分に合うかどうかはわからない。

考え方の型や視点はあります。

ですが、それらを生かして導き出す答えは、千差万別になる。

同じマーケティングの考え方に沿ってコンセプトを作ったとしても、人によって打ち出し方が変わるように。

どんな行動をとるかだって変わるでしょう。

やっぱり、そこに正解などない。

「頭ではわかっているけれど」の欺瞞

だけど、ないとわかっているけれど、求めてしまうのが人の弱さであり、人間らしさとも言えます。

多分、結局わかっちゃいないのだと思うんです。僕も含めてですよもちろん。

自分は結果が出ていない現実がある。

だけど、ライバルは出している。

なぜだと。何が違うんだと。

細かく紐解けば、そもそものリサーチのところ、ビジネスの入りからして全く違ったりするのですが、それでもやっぱり表面に現れている結果を見て、羨んでしまう。

よく、頭では理解できる、と言いますが、多分そんなことはなくて、結局頭でも心でも理解できていない。

だから、「正解を出してほしい」と他人にすがる。

すでにこの時点で、自分の内側のよりどころを放棄しているし、例えばいくつかの場面であった助言やアドバイス。

その1つ1つに、では真面目に取り組んだのか。

そんな検証はどこかに吹き飛んでしまったりする。

人事を尽くして天命を待つとはよく言ったものですが、僕らは自らの名において選択し、やり切ることしかできません。

何を伝えたところで動くのも、動ききるのもやっぱり本人なのですし。

情報がこれだけ溢れているわけですから、考え方もやり方も、対話を通じて「今の自分はこう考える」までは出せる。

 ※そういうと、それだとコンフォートゾーンから抜けられないと話をされることがあるのですが、だとしたらそうフィードバックをすれば良い

「目標達成の神業」という本の中のセリフに、「コーチは成果にコミットすることはできない。やり切ることにコミットする」という言葉があるのですが、きっとコーチに限らず、とにかく隣で追っかけることしか、他人にはできない。

そして、そこに大きな価値があるとも思います。

自分の内側に基準を

話が逸れた。

何が言いたいのかというと、僕らはもう一度、「答えはない」と言われている意味を今一度立ち止まって考えてみてもいいんじゃないかってことです。

自分軸なんていうと、言葉が途端に陳腐になるのですが、自分の中にある基準はなんだったのか。

他人の期待に応えようとすることと、他人にすがりつくことは明確に違います。

僕たちは、他人の役に立つっていう言ってみれば前提を、自分をよりどころとして取り組んでいるはず。

決して、他人の中に自分の判断基準はないし、持たせた瞬間に死んだようなものと言っても過言ではないかもしれません。

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ABOUTこの記事をかいた人

TCS認定コーチ | 半径10mの人間関係を良くしてご機嫌な毎日を送るコーチング|人生の目標も悩みもコーチングの力が役立ちます| 人間関係と父親コーチ視点で子育ての発信をしていきます。|軽井沢とスポーツをこよなく愛している2児の父です。