TCS認定コーチのウスイです。
自分の達成したい目標や、ありたい姿、目的。
それらを実現しようと思ったら、今までの自分ではいられない、というのは論理的な話だ。
そうなると必然、「習慣を変え続けていくこと」が必要になる。
朝活なんかが流行っているけれども、これも結局のところ習慣を変える手段の1つ。
目的に向かわないのであれば、おそらくやっても意味がない。
前提:現状維持メカニズムの存在
僕も現在、習慣を変えようと奮闘している真っ最中なのだが、これがなかなかにして大変な取り組みである。
それもそのはず。
人間には、基本的に「現状維持」をする働きがあるからだ。
このへんは、調べれば話としてはいくらでも出てくるので割愛するが、僕はこの説を支持する者だ。何より実感があるからね。
今の自分は、何らかの習慣を経て出来上がっているわけだから、それを変えるのは大変なことなのだ。
ということを、先日も記事にした。
人は急には変わらない。
スマートなプロセスという幻想
そしてもう一つ。
押さえておきたい視点がある。
習慣を変えるプロセスというのは、基本、人に見せられないくらいにはブサイクだということ。
SNS等で啓発されている「良習慣」の数々。
あれらは、おそらく本当のことだと思うし、本当のことでなければ何なのかという話にはなるが、いずれにせよ、非常にスマートに見える。
少なくとも、その習慣を手に入れている人はなんかスマートだ。
だけども、そのプロセスにおいて、挫折も何度もしたと思うし、三日坊主は何体登場したのだろう。
「もういいや」と半ば自暴自棄になりかけては、「いやダメだ…」と思い直してもう一度立ち上がる。
この姿は、おそらく人には見せられないくらいにはスマートとはほど遠いだろう。
人間特有の甘え
そして、人間、欲深いもので、悪い習慣はすぐに断ちたいし、良習慣はすぐにゲットしたい。
・すぐに
・誰でも
・簡単に
こんな単語が並ぶ本屋に行けば一発で分かる。
人は、良い結果を、短期間で、簡単に、辛くなく、楽に得たい。
これが本音だ。
そして、そうやって結果を得た自分は非常にスマートだと、そう思いたがっている。
そう、僕のことだ。
だけれども、そんな本に書いてあることも、結局「だけ」じゃないし、その「だけ」が難しかったり続かなかったりする。
そして、また別の手段を求め、「自分探し」と称して旅立つ。
何度でも立ち上がるしかない
そういうことを繰り返す人もいるだろうし、どこかで思い直して愚直にやり続ける人もいる。
結局のところ、差はそれだけのことなのだ。
1つの手段でもなんでもいい。
それを、ブサイクになりながらやり切ったかどうか。
そこに尽きる。
習慣を創るのは簡単なことじゃないんだ、と言いたいのではない。
だからこそ、ブサイクなプロセスを恐れずに、七転八倒していけばいいということ。
そのプロセスの中で、
いきなり変わることは無理だが、少しずつ長く続けていけばいけることが体感的にわかったり、かつてビリージョエルが言ったという、「小さく行動しろ」の意味をつかめたりするのだ。
ブサイクを恐れるな。
そんな君は美しい。
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